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高校生におすすめ!

まずやってみる。やってダメなら考えればいい。─ 髙岡 麻彩さん(日本酒家・経営者)【連載・夢中人 Vol.9】

まずやってみる。やってダメなら考えればいい。─ 髙岡 麻彩さん(日本酒家・経営者)【連載・夢中人 Vol.9】
今回の「夢中人」は、「株式会社日本酒にしよう」のCEO(最高経営責任者)を務める、唎酒師・日本酒家の髙岡麻彩(たかおか・まあや)さんです。大学時代には、フットサルアイドルとしてテレビやラジオでも活躍していた髙岡さん。現在は、全国の酒蔵を巡り、美味しい日本酒や蔵元さんの熱い思いを届ける仕事をしています。芸能界から一般企業への就職、さらにスイーツ業界への転身を経て現在の仕事に至るまでのエピソードや、夢を叶えるために大切なことについてお話を伺いました。

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子どもの頃から変わらないこと

子どもの頃から、まずはなんでもやってみようとする性格なんです。それはおそらく父の影響が大きかったと思います。私の父は、何でも自分でやってしまう人。例えば、バス釣りにチャレンジするとなったら、ルアーから手作りしてしまうような。木を削って、色を塗って。しかもちゃんと作れてしまう。そんな姿をずっと見てきたので、「人って、何でもやればできるんだ」という考えが根付いたのかもしれません。もうひとつ昔から変わらない考えが、「明日もし死んでしまったとしても、すべてやりきったと笑っていたい」ということ。子どもの頃から、今が大事で、精一杯生きたいという気持ちを持ち続けています。

アイドルに憧れて芸能の世界へ

アイドルグループのSPEEDに憧れていた小学生の頃から、自分の歌を録音して、オーディションに応募したりしていました。高校では英語の専門学科に入学し、勉強に励みつつ、バンドを組んでギターボーカルをやっていました。

高校卒業後、関西学院大学に進学しました。本当は一人暮らしをしたかったんですが、両親の許しがもらえず、実家から片道2時間半かけて通っていました。入学当時の門限は夜9時。1分遅れただけでも、めちゃくちゃ怒られました。

限られた時間の中でしたが、高校から続けていたバンド活動が縁で芸能事務所に入ることができ、アイドルとして関西でテレビやラジオ番組に出演していました。憧れていた芸能界は、楽しいこともたくさんあった半面、想像とは違っていたこともたくさんありました。また、想像以上にたくさんの人が支え合って成り立っている世界だということも知りました。

両親の反対から就職、そして転身

大学卒業後もそのまま芸能活動を続けたかったんですが、両親から「まずは就職しなさい。就職した後は、自分の好きなことをやっていいから」と言われ、所属していた事務所は辞めて、楽天株式会社※に就職しました。でも芸能界への夢は捨てきれず、ボイトレに通ったり、テレビ番組に出演したり、という活動は続けていました。

※現、楽天グループ株式会社

会社には7年ほど勤めましたが、この会社勤めを経験したからこそ今の自分があると思っています。仕事というのは、1人ではなくチームでやっていくものと知りました。入社3年目に全社で表彰されたことがあったのですが、そのときも、同じチームの人の力があったからこそだと強く実感したのを覚えています。

20代後半になって、このままでいいのか、と思い始めました。

自分のやりたいことを実現するために、動き出さなきゃ、と思いました。会社を辞め、好きだったスイーツ作りを究めたいと思い、製菓の専門学校に通い、調理師免許を取得しました。なにか手に職をつけておかないと自立できないし、やりたいと思っている芸能の仕事もできないのでは、と思っていたからです。

資格を取ってからは、いろいろなご縁が繋がって、スイーツ作りの教室を開催したり、駅構内でスイーツを販売したりもしました。会社を辞めて2年ほどたった頃に出会った音楽プロデューサーのnaoさんから、「また歌をやってみれば?」と声をかけてもらい、CDもリリースさせていただきました。

私は、物事には全て意味があると思っているんです。芸能事務所を辞めて就職したことも、遠回りに見えるかもしれません。でも、その経験を生かすも殺すも自分次第。だったら私は生かしたい、と思ったんです。

美味しい日本酒と酒蔵さんのストーリーを届けたい

スイーツの仕事を通して出会った日本酒に魅せられ、現在は唎酒師・日本酒家として「株式会社日本酒にしよう」のCEOをしています。

メインとなる事業は、日本酒のサブスクリプションサービスです。全国の酒蔵さんを回って実際に利き酒をしながら、酒屋でも酒蔵でも販売していない日本酒を、酒蔵と共同開発で造り、このスペシャルなお酒を毎月1本ずつお客様にお届けしています。美味しい日本酒を届けるのはもちろんですが、ひとつひとつの日本酒の背後にある酒蔵さんの歴史、ストーリー、酒作りにかける情熱を知ってもらいたいのです。日本酒の価値を高めて、日本酒を愛する人の数をもっと増やしていけたら、という思いでやっています。

日本酒と料理や器、音楽・アートなどをかけ合わせたイベントの企画もしています。日本酒を飲み、蔵元さんのストーリーを聞いて受けたインスピレーションから、アーティストが即興で音楽を演奏するんです。絵を描いたり書を披露したりする人もいます。日本酒をエンターテインメントとして楽しんでもらうことで、日本酒のおいしさ、蔵元さんの想いを、より記憶してもらえればと思っています。

日本酒好きを増やしたい、という思いを軸に

日本酒と出会うチャンスが少ない方に向けて、スイーツとのコラボを企画しました。

アップルパイの専門店とコラボして、酒かすを使ったアップルパイを開発しました。ほかにも、日本酒に合うおつまみのレシピをプロの料理家に考えてもらい、SNSで発信し酒蔵のPRをする試みもしています。それらを集めたレシピ本の出版も企画中です。日本酒が好きな方をひとりでも増やしたいという思いが軸になっています。

最近は、日本酒の輸出事業も始めています。現地とのやりとりから輸送手配まで、全て私が担当しています。軌道に乗るまでは大変ですが、ずっと好きだった英語を生かした仕事もできるようになったので、頑張りたいですね。 

私はもともと動きながら考えるタイプなんです。これまでやってきたさまざまな企画も、まず自分が面白いと思ったところから始めて、ご縁のあった方々と一緒に形にしていきました。これからも、関わってくださる方々に感謝の気持ちをお返ししながら、日々丁寧に仕事をしていきたいと思っています。

夢を叶えるために

私は現在の日本酒家の仕事をするようになるまで、さまざまな経験をしてきました。その時その時で、目の前のことをただやってきただけでしたが、振り返るとすべてのことが繋がっています。日本酒とスイーツのコラボもそうですし、学生時代に頑張っていた英語が、海外に日本酒を広める事業に役立っています。

そのときはそう思ってやっていたわけではないけれど、実は今の仕事に繋がっています。学生の皆さんにも、いろいろなことにチャレンジして視野を広げてほしいと思います。その分、将来の選択肢がきっと増えます。

もうひとつ。「諦めなければ夢は叶う!」とも信じています。私は、就職してからも芸能の世界への憧れを諦めずにいた結果、働きながらCDをリリースすることができました。今でも時々、コンサートで歌っています。もし、親に反対されたときにそのまま諦めていたら、縁にも恵まれなかったかもしれません。

自分がなりたい姿や、将来やりたいことに向かって進んでいくためにも、形は人それぞれあれど、諦めずにいることが大事なんじゃないかな、と思っています。

プロフィール

髙岡 麻彩
Maaya Takaoka

唎酒師・日本酒家・料理研究家/株式会社日本酒にしよう CEO
京都府出身。関西学院大学在学中、フットサルアイドルとしてデビュー。会社員を経て、手に職をつけたいとの思いからスイーツの世界へ飛び込む。その後、その歴史やストーリー、酒蔵の情熱に魅せられ、日本酒の世界へ。日本酒を若い人へ訴求し、業界を活性化していきたいとの想いから、日本酒のサブスクサービス事業を立ち上げる。独自の視点を取り入れた日本酒とスイーツのペアリングや、音楽やアートとを組み合わせたイベント等もプロデュース。「日本酒を知ることは、日本を知ること」をテーマに、国内にとどまらず海外でも日本酒文化を発信し、守る活動を続けている。

(取材・撮影/西 泰宏 文/白根理恵 編集/Totty)