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高校生におすすめ!

何かになろうというより、たどり着いた先にいる私を見てみたい。─はましゃかさん(フリーランス)【連載・夢中人 Vol.6】

更新日 2024.02.01
何かになろうというより、たどり着いた先にいる私を見てみたい。─はましゃかさん(フリーランス)【連載・夢中人 Vol.6】
今回の「夢中人」では、俳優、タレント、モデル、イラストレーターなど幅広く活動する「はましゃか」さんをご紹介します。美大在学中からウェブマガジンでのコラム連載を担当し、卒業後はフリーランスとして活動を開始。現在はインターネットテレビ番組「ABEMA Prime」でコメンテーターを務め、飲食店でのアルバイトや映画学校での表現・制作の学びなど多忙な日々を送っています。「まだ名乗れる肩書きがなく、自分の職業はフリーランスと言っています」と話す、はましゃかさん。美大受験から上京、様々な活動を掛け持ちする現在の生活に至るまでの経緯や、今後の夢について語ってもらいました。

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美大受験のきっかけは、先生からの一言でした。

高校時代は、大河ドラマの『平清盛』が大好きで、「いつかどんな形でもいいから、大河ドラマに関わる仕事がしたいな」と思っていました。絵を描くのも好きで、クラスで一、二を争うくらい、絵がうまかったんです。ある日、美術の時間に自画像をすごいドヤ顔で描いていたら、美術の先生から「美大を目指すなら、もっとデッサンをやった方がいいよ」と言われたんです。

当時はまだ高校1年で、進路について深く考えていなかったし、美大に行きたいともひと言も言ってなかったんですが、先生が予備校のパンフレットまで見せてきて(笑)。「上には上がいるぞ」みたいなことも言われて、もう少し頑張らなきゃいけないような気持ちになったんです。それで、美大予備校の見学会に行って体験デッサンを受けてみたら、すっかりその気になってしまって。もともとグラフィックデザインを見るのも好きだったし、進路の適性チャートの結果はいつも芸術系だったし、「じゃあ、やってみようかな」という感じで決めました。

高校までの14年間、クラシックバレエをやっていて、すごく好きだったんですけど、美大を受験するために辞めました。体を故障したからという理由もありましたが、親から「バレエだけで生活するのは難しいよ」と言われたのが大きかったです。今思えば、当時はすごく周りの大人の言葉に影響されていましたね。

浪人時代につかんだ伸びしろ。

国公立と私立含めて美大を受験しましたが、全部落ちました。周りに流されるままに受験してしまって、全然気持ちがついていってなかったんです。自分のスキルが足りていないと分かって受験していたから、「まあ、そうだよね」という感じで、落ち込むことはなかったです。悔しいという気持ちもなくて、むしろ清々しい気持ちでした。バレエでいえば、練習が足りなくてまだ体は硬いけど、毎日ストレッチすれば柔らかくなる、みたいな感覚がありました。だからいったん自分の中身を空っぽにして基礎からやり直そうと思ったんです。

浪人時代の予備校には、同じ大学を目指して勉強している子が15人くらいいました。そのときに、これなら私もできるかもって感じたんです。「1人だとモチベーションを保てないけど、みんなと一緒なら頑張れる!」と。そこからは毎日がすごく楽しくて、生き生きしていましたね。絵もどんどん上手になっていくのが分かるし、伸びしろが凄かったんです。実技以外の学科試験の勉強も夜間に講習を受けて頑張って、「次は絶対いける!」と信じて受験して、多摩美術大学に無事合格しました。

東京に行きたかったのは、北海道には美大が少なかったのと、ギャラリーや展示会が少なくて見たい物を見られなかったからです。このままでは、アートやデザインに関する体験     が増えないと思いました。「東京に行って、駅に貼られている、でっかい広告をつくるぞ!」とか、「アートディレクターになるぞ!」という野望を抱いて大学に入学したんです。

大学に入学直後にぶち当たった2つの壁。

ところが、いざ入学してみるとパソコンのことが全然分からなくて、デザインどころじゃなかったんです。課題制作に必要なイラストレーターやフォトショップなどのソフトを自分のパソコンにインストールするのに、1年ぐらいかかりました(笑)。周りには、高校生の頃からソフトを駆使しまくっていた人もいて、パソコンでデザインすることに、ものすごく劣等感を持つようになったんです。でも、アナログで描くのは自信があったので、手描きのイラストをスマホで撮ってインスタ(Instagram)にアップしていました。そうしていくうちに、だんだん自分のスタイルが確立されていったような気がします。ちょうど『#しゃかコラ』を発信していた頃ですね。

一人暮らしもまた、大きな壁でした。自分が1人では生活が立ち行かないタイプの人間だということも思い知ったんです。北海道にいた頃は、毎朝お父さんに車で駅まで送ってもらって、ご飯もお母さんが用意してくれて、という生活でした。いざ一人になってみたら、朝起きて学校に行く、という当たり前のことすらできなかったんです。生活はぐちゃぐちゃになり、ご飯もまともに食べず、体調を崩してしまったこともありましたね。

「女子力って何?」という疑問が世界を広げた。

中学・高校は女子校だったのもあり、「勉強できるヤツ、面白いヤツが一番上!」という風潮がありました。ところが大学に入ったら、男子からモテたい、カワイイ女子を目指せ!みたいな「文化」があって、私には新鮮で面白かったですよね。で、私もちょっと頑張って目指してみようと思って、黒髪で清楚な感じで、料理もできて、気も利いて、みたいな、モテるためのスペック、いわゆる「女子力」みたいなやつをどんどん自分に「インストール」していったんですよ。

ところが、です。ある合コンで「サラダの取り分けを誰がやるか」とか女子同士がごちゃごちゃやりとりしているのを見ていたら、「女子力って何?」という疑問が急に押し寄せてきたんです。その辺りから、なんだかいろいろめんどくさくなって、当時付き合っていた「奥ゆかしい女の子好き」だった彼氏とも別れました。

それでこうした経験をブログにまとめてアップしたら、これがSNSやネットニュースでかなりの反響を頂いて。いわゆる「バズった」形になりました。糸井重里さんのTwitterでも引用されて、そこからまるでわらしべ長者のように、いろいろなつながりができ、取材やお仕事の機会を頂くようになっていきました。arweb(アールウェブ)で『サラダ取り分け禁止委員会を発足します!』というコラムの連載を書くようになったのもこの時期です。当時は何が何だか分からない状態で、とりあえず依頼されたことをこなすのが精一杯でした。

大学4年の後半は、めっちゃ忙しかったですね。ライターとしてエッセイを書きつつ、劇団に入って舞台に出たり、自主制作映画の撮影に参加したりしていました。将来の展望なんて描く間もないまま、なんとなくライター業で生計を立てていければいいかな、くらいの感覚でいました。

コロナ禍を乗り越えて新たな道が始まった。

大学を卒業してからは、フリーランスとして働き始めました。一人暮らしでまともに学校にも通えなかった自分が、会社勤めができるはずないと思ったからです。でも、フリーランスも自分で全てをやらないといけないのが結構大変で、続けていけるのかな・・・と思っていた矢先に、コロナ禍になりました。大学を卒業してからちょうど2年後です。

イベントや取材とかで飛び回っていた日々から一転、部屋でこもるようになり、かなり困りましたね。仕事をする気にもなれないし、かといってフリーランスを辞める方法も分からない。いろいろうまく行かないことが続いて、自己肯定感も爆下がりで、体調やメンタルがボロボロの時期もありました。それからなんとか少しずつ自分を立て直しながら、自分の手の届く範囲で楽しく生きてみようという方向に、だんだん気持ちがシフトしていったんです。

そんな中、大阪のイベントで飲食店の1日店長みたいな仕事をさせてもらう機会があり、それがめっちゃ楽しかったんです。お酒も好きだし、人としゃべるのも得意だし、「これだ!」と。そこで、よく飲みに行っていた阿佐ヶ谷の飲食店でバイトを始めました。バイトを始めてからは生活のリズムも整ってきました。最近はさらに映画美学校のアクターズコースに入り、再び演劇の勉強を始めています。

この先、どこかにたどり着くかもしれないから。

学校はすごく忙しいです。1週間のうちに芝居の発表会をしたり、短編映画の企画会議をしたり、脚本を書いて撮影の準備をしたりと大変です。でも、これをクリアしたら何でもできるようになるかもしれないと思うんです。だから社会勉強のための自己投資をしているという感覚もあります。演技や演劇づくりにもチャレンジできるし、映画もどんどん撮っていけるような気がするし、夢が広がりますよね。

今までは、コラムでも言いたいことを書いてはいましたが、別に誰かとケンカしたいわけではないんです。ただ、ネットやSNSの世界だと、どうしても議論をあおるような感じになってしまったり、ちょっとした炎上の渦中に巻き込まれたりすることもあります。でも、言いたいことを演劇や映画のような創作の中で表現することができれば、議論や批判を受けたとしても、それも1つの世界観として発信し、作品として存在させることはできると思うんです。現実世界だと、何かを語る空間は限られてしまうけど、創作の空間は無限にあります。そこで、私の世界観を味わいたい人に楽しんでもらえるものを作っていきたいな、と思っています。

私は、マルチクリエイターとして紹介いただくこともありますが、今まで自分の肩書きは特に決めずにやってきました。まだ名乗れる肩書きがないからです。この先、どこかにたどり着くかもしれませんが、今はまだ、その過程の中にいるんだと思っています。映画監督なのか、劇作家なのか、俳優なのかは分かりませんが、創り上げた作品を振り返ったときに、私の肩書きができていたらいいですね。

プロフィール

はましゃか

北海道出身。多摩美術大学在学中から、モデルやイラストレーターとして活動。Instagramにイラストや手書き文字をコラージュした自身の写真・通称「#しゃかコラ」で注目される。上京後のカルチャーショックをつづった自身のブログが話題となり、『arweb』にコラムを連載。「サラダ取り分け禁止委員会を発足します!」、「ナンパされない10の方法」などが多数のメディアに取り上げられた。卒業後の現在は「フリーランス」として、『できる仕事が多すぎて困る…新卒フリーランスの20の仕事』と題してnoteで仕事を募集。執筆、モデル、イラストレーター、俳優、コメンテーターなど、枠にとらわれず様々な分野で活躍中。

Instagram:https://www.instagram.com/shakachang/
X(Twitter):https://twitter.com/shakachang
note:https://note.com/shakachang
YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCLJjrPFHBolKbgvBRfZksoA
<現在出演中>ABEMA Prime(インターネットテレビ『ABEMA』)コメンテーター:https://abema.tv/video/title/89-66

(取材・撮影/西 泰宏 文/白根理恵 編集/Totty)

ライター
ドーミーラボ編集部

「夢中になれる学生生活」を探求するウエブマガジンです。進学や進路のあり方、充実した学生生活をおくるために実践できる知恵やヒントを発信していきます。