定年後、もう一度大学へ。60代の大学生が語る「受験の心得」と「学び直し」のヒントー瀧本 哲哉さん(京都大学 ジュニアリサーチャー)【連載・夢中人 特別編】
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もう一度、大学に行ってみたい。
私は幼い頃より千葉県で暮らしておりまして、大学卒業後に金融機関に36年間勤務しました。30代の頃、別の金融機関の先輩から「会社を中途退社して大学に入り直す」というお話しを伺い、「もう一度、大学に行くという選択肢もあるのだな」ということが漠然と頭に残っていました。
55歳になり、関連会社に出向すると、それまでより仕事量が減り、もちろんその分給料も減るのですが、自由な時間も増えました。ちょうどその頃、次男が北海道大学に入学しました。北大祭という学園祭に誘われまして、旅行がてら北海道に行くことになったんです。そこで、北海道大学の緑いっぱいの広大なキャンパスや学生たちの生き生きした姿、歴史を感じさせる重厚な建物などに触れ、「もう1度、大学に行ってみたいなぁ」という感情が芽生えてきたのをよく覚えています。
息子たちのアドバイスが京大進学に導いた。
最初は本当に軽い気持ちでした。自宅に息子たちが残していった受験参考書がたくさんあったので、それを使って手探りで勉強を始めてみたのです。ところが実際にやってみると、受験勉強が面白くてしょうがないのです。
国語、英語、数学、歴史、どの科目も面白くてやめられなくなりました。入学試験を受けることが目的というよりも、試験勉強をしていること自体が楽しくなってきて、仕事終わりに、喫茶店やファミレスに寄って勉強するというライフスタイルがすっかり定着しました。
ある時、腕試しにセンター模試*を受けてみたのですが、数学ⅡBが散々の出来でした。長男から「どんな風に勉強してるの?」と聞かれて分かったのですが、センター試験の勉強方法は根本的に違っていたのです。そこで一緒に書店に行って入門レベルの参考書を買いに行き、基礎の基礎からやり直しました。それでもわからないところは中学生向けの参考書で勉強しました。しばらくすると参考書のレベルも上がり、模試の成績もだんだん上向いてきました。勉強を始めた当初は自宅から通える地元の大学に何とか行ければと思っていたのですが、難関国立大学が視野に入るようになってきたんです。
*現在の大学入学共通テストの模擬試験
大学によって試験の出題形式や傾向は異なります。そこで「お父さんに相性が良さそう」と次男が勧めてくれたのが、京都大学なんです。京都大学の英語や国語の出題形式は記述式ばかりで、しかもかなりの長文の解答が求められます。しかし暗記の要素は少なく、人生経験が活かせる中高年向きだなと思い、京大を目指して勉強することにしました。
受験勉強をはじめたのが56歳、3年間の受験勉強を経て京都大学経済学部に合格しました。合格時はまだ会社勤めをしていたので、定年1年前に退職し、本格的な大学生になったときは59歳になっていました。
若いときに必死で勉強したことは、
いつか自分を助けてくれる。
40年ぶりに受験勉強をやってみて気付いたことがあります。それは10代の頃に必死になって勉強していたことは、50、60になっても頭のどこかに残っているということです。
二度目の受験勉強をはじめた当初はブランクが長すぎて、何もかも初めてのような感覚でした。でも、高校生の時によく勉強していた科目は、しばらくやっているうちに、当時の記憶が次第に鮮明になってくるんです。例えば、高校生の頃に格闘した数学ⅡBの積分のページが頭に浮かんでくるのです。英語も、10代のころ必死に覚えた英語構文はスラスラと出てくるようになりました。
一方で、当時丸暗記だけで適当にやってきた古文などは、頭の中から完全に抜け落ちてしまっていました。中途半端に暗記だけしてきた科目は、歳をとると頭の中はスッカラカンで何一つ残っておらず、一から勉強のやり直しでした。
若い頃に必死で勉強したことは、必ず頭の奥底に残っていて、自覚はしていなくても、何かの時に自分を助けてくれる。このことは、声を大にして若い世代に伝えたいです。それは受験勉強に限ったことではありません。大学生になってからの大学での勉強についても言えます。だから若いうちに、ぜひ自分の頭を徹底的に鍛えてやってほしいと思っています。
世間の常識にとらわれない学生たちとの出会い。
京都での学部生時代は、大学の敷地内にある吉田寮という学生寮で過ごしました。家賃が圧倒的に安かったので、受験した日に見学に行ってみたのですが、「雑然としていて汚いところだな」とか「ここに住むのはちょっと無理かなぁ」と思ったが第一印象でした。でも、寮内を案内してくれた寮生に、年齢制限はないのかと尋ねたら、「京都大学の学籍がある人は誰でも入寮できます。人種、性別、年齢で差別するようなことはあるはずがありません。そのような考え方をする人には入ってもらわなくてけっこうです。」と言われたんです。この彼のひとことが入寮の決め手となりました。
吉田寮は現代のキーワードである「ダイバーシティ」を地で行くような空間です。男女で棟は分かれていませんし、トイレやシャワー室も男女共用です。留学生をはじめ様々な出身の学生が暮らしています。いまどきの学生寮ではめずらしい相部屋で、私も台湾からの留学生としばらく同じ部屋で生活しました。寮生の多くは、世の中の常識や価値観にとらわれずに、自分の考えをしっかり持っていると感じましたし、私も寮で生活するうちに、他人の視線を気にせず、自分が勉強したいことを自由に学ぼうと思えました。
自分の興味と向き合いながら、これからも研究を続けたい。
入学当初は語学の授業で戸惑うことも多くありましたが、2回生に上がると経済学部の授業が中心になり、その頃にはすっかり慣れていました。経済学部の授業以外にも、法学部や文学部など、学部に関わらず自分が興味関心をもった授業を片っ端から受講しました。
若い学生は将来や就職のことも意識しながら授業を取ったり、卒業に必要な単位の取得を優先したりしますが、私にはそれがないので、自分が「知りたい」と思った分野を勉強しようという思いで学び続けていました。
おかげで卒業論文のテーマも見つかりました。たまたま4回生のときに受講した文学部の日本史の授業がきっかけです。戦前の京都の遊廓に興味を持ち、遊廓の経済史的な位置づけを卒業論文にまとめました。大学院生になってからは、戦前の被差別部落民や在日朝鮮人の就業構造などを研究し、近代日本における身分差別、職業差別などの差別と経済の関係について博士論文にまとめました。本年3月に大学院を修了しましたが、その後も京都大学に籍を置いて、学術書の発刊という大きな目標に向かって研究を続けていきたいと考えています。
学び直しを経験して、受験生と親御様に伝えたいこと。
最後に、受験生を持つ親御様も読んでいただいていることを念頭に、40年振りに大学で学び直してみて感じたこと、大学合格を目指す受験生に伝えたいことをお話しします。
まもなく大学全入時代が近づいています。それは大学生になる意味が改めて問われているとも言えると思います。もし経済面などの環境が許されるのであれば、私は長い人生の中で大学という学びの機会をぜひ活用してほしいと考えています。
大学に入り直してわかったのは、我々が現役の学生だった時代の大学と、現在の大学はまったく違うことです。インターネットも無かった当時は、黒板にチョークで板書しながら先生が一方的に話し、学生はそれをノートに書き写すというのが一般的な授業スタイルでした。しかし今の授業は教授が丁寧にスライドや映像を使ったり、レジュメを配布したりして、わかりやすく教えてくれます。学生にとっての学びの環境が、以前よりも格段に整っています。
大学には、その分野の専門家の先生がいらして、学生の質問にとことん付き合ってくださいます。大学の図書館にはたいていの専門書が備わっていて、まさに知の宝庫です。一般社会では逆立ちしても太刀打ちできないほどの教育資源が大学にはあります。ほとんどの学生は大学という教育機関のすばらしさに気付いていないと思います。
40年前に最初の大学に入学した私もそうでした。多くの大学生は部活やアルバイトが学生生活の中心で、単位を取るために授業に出席しています。大学は就職のひとつのステップと捉えられがちで、親御様も同様の考えかもしれません。もちろん部活やアルバイトなどは学生時代ならではの体験で、とても重要なことですが、せっかく大学という素晴らしい学びの環境に身を置くことができたのですから、何かひとつでいいので自分が興味を持ったテーマを見つけて、それを徹底的に勉強していただきたいです。
改めて受験勉強の良いところは、若い時に自分の頭を徹底的に鍛え上げることです。学んだ知識が直接役に立たなくても、生きる上での立派な武器になると思うんです。そして、大学という素晴らしい学びの環境を存分に楽しめるように、本人が興味がありそうなことを見つけてあげる、どんな方向性でも自分のやりたいことを探す手助けをしてあげる。それが親としてできることではないかと思います。親御様におかれては、私の話をネタに、近い将来の大学生活について一緒にお話しする機会を設けていただければ幸いです。
プロフィール
瀧本 哲哉(たきもと・てつや)
1956年、北海道函館市生まれ。 京都大学大学院経済学研究科ジュニアリサーチャー。23歳で大学を卒業後、金融機関に36年間勤務。次男が通学する北海道大学のキャンパスに強く惹かれ、もう一度大学生になることを決意し、2015年4月、京都大学経済学部に入学。2019年3月には京都大学大学院経済学研究科へ進学し、2023年3月に大学院修了。2022年6月『定年後にもう一度大学生になる 一日中学んで暮らしたい人のための「第二の人生」最高の楽しみ方』(ダイヤモンド社、2022年)を上梓した。
※本記事は2023年3月時点の内容です。
(写真・白浜哲/文・田中文庫・Totty/取材・西泰宏/撮影場所・ドーミー百万遍アネックス)