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小さな夢を積み上げる「人生哲学」。体操選手としての経験と学びを起業に生かす―鈴木 康平さん(体操教室「スズキ体操スクール」代表)【連載・夢中人 Vol.3】

小さな夢を積み上げる「人生哲学」。体操選手としての経験と学びを起業に生かす―鈴木 康平さん(体操教室「スズキ体操スクール」代表)【連載・夢中人 Vol.3】
今回の「夢中人」連載は、体操選手から一般企業に就職後、起業家に転身した鈴木さんにインタビュー。鈴木さんの人柄を感じさせる「貢献」「恩返し」という言葉に触れながら、楽しさを根本に持って夢を叶えてきた彼の人生哲学に迫ります。体操経験や寮生活、就職を経て、起業後の営業活動や生徒への指導方法にも彼の経験が生かされています。小さな夢を一つずつクリアしていく「夢中」に迫ります。

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トランポリンがきっかけで出会った体操

きっかけは幼少期の経験です。幼稚園にトランポリンがあって、僕は朝早くから行って遊んでたんですね。それを見た母が、小学生になると体操教室に連れてってくれたんですよ。それ以来ずっと夢中でした。選手コースに行くようになり、教室に通う日が週3ぐらいに増えて、高学年からは週6と増えていきました。教室の先生は、僕の体操を見て「力があるな」と見抜かれて、推薦されたみたいです。地元の中学時代も練習と大会出場を続け、高校では、インターハイ出場を目指していました。インターハイに出て、母を全国各地に母を連れて行けることで「恩返し」になるかなと考えていました。高3の最後の大会でようやく出場権を勝ち取ることができ、岩手県に連れていくことができました。つり輪でメダルを取ることもできました。

「逆算してトライする」ことを学んで成長する

当時は「トップアスリートAO入試」という、全国大会で3位以内の実績を挙げた選手が出願できる入試がありました。当時進学できる道はそれしかないと思っていた僕は、「なんとしても高3で結果を残さなきゃ」と挑みました。インターハイでメダルを勝ち取り、出願条件をパスし、日本体育大学に入学できました。練習環境が大学に変わったと同時に、やはり全国から実力のある学生が集まっていますので、各大会の出場権を得ることは容易ではなくなりました。1年生の時は、「全日本団体選手権」と「全日本種目別選手権」に出場しました。その時はエースが怪我をしていて、僕が「つり輪」と「ゆか」と「跳馬」で出場することになりました。結果は4位、メダルは取れませんでした。2年生の時は骨折、3年生の時にも脱臼が重なり、全国大会には出られませんでした。練習のしすぎで疲労が溜まり、怪我をしてしまったんです。オーバーワークになってもダメなんだなというのは、そのときはじめて感じました。

4年生となった2015年、11月の「全日本団体選手権」に3年ぶりに出場できました。僕の種目である「つり輪」と「跳馬」で貢献ができ、優勝したんですよ。アベック優勝といって男女どちらも日体大が優勝し、日体大創立から4回目のアベック優勝になりました。日体大の歴史的な結果を残せ、最後にリベンジを果たすことができました。

正直に言うと「2015年の夏で引退しよう」と思ってたんです。ですが、4年生になった春の大会で、春の全日本、5月のNHK杯、6月の全日本種目別と3つの大会につり輪で出場できたこともあり、順調に行けば11月の全日本団体でも今のメンバーの中で貢献できるかもしれないと思い、頑張ろうかなとやってみました。

この時学んだのは、「逆算してトライする」こと。全日本団体で結果を残せるには、まずその前に自分が出場できるためには、自分の種目でどれくらい点数を取れば良いのか、ということを考え、計算しながら練習を積み重ねていきました。高校までは周りの人数も限られる分、自分が頑張れば試合には出られます。ですが、大学ではみんな実力があるので、頑張らないと試合に出られない。試合前には必ず部内での選抜をクリアしなければなりません。実践し、結果も残すことができたので、自分の中でも納得しながら、経験を積むことが出来ました。

自分自身を高めるために

高校までは、先生の指示に従う練習でしたが、大学では自分でメニューを構築し、練習を重ねていきます。自分で考えてもっと練習したり新しい技をやってみたり、仲間の練習や技を見て研究したり。「こういうやり方もあるんだ」と学ぶことができたのは良かったです。日体大の仲間には、本当に強い人が沢山いました。入学前は怖い先輩がいたらどうしようとか、「(自分の体操は)どこまで通用するんだろう」とか、不安が色々あったのですが、意外と「真ん中よりちょっと上」ぐらいだったので、モチベーションをしっかり持ちながら頑張ることができました。1年生の時の全日本団体、種目別に出場できたことも自信になりましたね。

チーム戦の重要性

全日本団体などでは、6人チームで6種目に挑みます。当時のチーム 6人の中では、僕はつり輪と跳馬が強かったんですが、全員が全員つり輪と跳馬が強くても意味ないわけです。ゆかが強い人が3人、あん馬ができる人が3人、つり輪ができる人が3人みたいに組み合わせた時に、僕が両方バランスよく貢献できていたという感じです。あん馬と鉄棒で点数が取れるメンバー、ゆかと跳馬と平行棒の3種目で入ってるメンバーもいました。誰をどう組み合わせれば、6人にした時に最も点数が取れるか、という部分を見るんです。

寮生活の体験

私が住んでいたのは、全10部屋の合宿所のような寮でした。2段ベッドが2つあり、1年生から4年生までが入居していました。寮母さんが食事を作ってくれて、冷蔵庫に入れておいてくれるんです。練習が終わったら取りに行って、自分の部屋に持って行って食べるという感じでした。

1年生の時は緊張しましたが、トレーニングや練習で疲れがたまり、筋肉痛にもなりました。しかし、2年生、3年生、4年生となってくると、体も慣れてきて、楽しむことができるようになりました。先輩たちにかわいがってもらい、そのおかげで私も先輩たちを尊敬するようになりました。後輩ができた時には、私も先輩たちから受けたように、後輩たちをかわいがって楽しい時間を過ごしました。

就職と見つめ直した人生

卒業後は、伯父から紹介された企業に入社しました。選手活動を続ける人は実業団などを持っている会社に就職していきますが、僕は3年生の時に怪我していたのもあって、4年生で「あと1年間ちょっとできるだけやって、引退して働こう」と決めていました。

入社後は営業職を4年ほど経験しました。ちょうど3年経った頃に、寮で同じ部屋だった後輩から、「一緒に体操の仕事をやりましょうよ」と誘われたんです。その時はじめて「大学までずっとやってきたものを活かさないのもどうかな」と思ったんです。あとやはり、地元への恩返しと両親への恩返しをしたかったんです。そこで、地元の埼玉に戻り、体操教室を開こうと決めました。

体操教室を開くまでの道のり

やると決めてからが大変でした。まず、場所探しに1年くらいかかりましたね。何度も不動産屋とやり取りして、見に行って、体操教室として借りる交渉を繰り返して、今の教室の場所がやっと見つかりました。場所についても、入念に調べました。周りにどれだけ小学校や幼稚園、保育園があるかなど、全部調べて、 ここなら大丈夫だと。

集客ノウハウについては営業職での経験が活かせました。「まずは周知しよう」と思い、公式LINEやSNSを作って少しずつ子どもたちを集めていきました。反響があったのはポスティングと、小学校への営業です。営業経験を生かして、抵抗なく「校長先生いらっしゃいますか」と電話してアポを取り、下校時刻にチラシを配らせてもらったりとか。直接子どもたちにチラシを渡せたのが良かったです。

企業に勤めたのはトータル5年でしたが、経験して良かったと思っています。ビジネスマナーも身に着きましたし、何より営業経験がすごく生きています。SNSの運用も営業でやっていましたのでスムーズに取り組めますし、どういう風に募集戦略を立てるだとか、ポスティングや学校への営業ができたのは、その経験があってこそでしたね。

「楽しい」がずっと根っこにある

自分が体操をやっていて楽しかった思いを今の子どもたちにも味わってほしいなっていうのが大きいです。子どもたちが楽しいって思ってくれたら、こちらも嬉しいですよね。楽しくやらないと、なかなか続けるのは難しいです。楽しさの中で、ちゃんと技術も教えて、できるようにさせていくことを目指しています。

開業して1年ほど。今は300人くらいの子どもたちが通ってきてくれます。順調に増えてくれてはいると思います。選手から体操教室で教える側になって変わったことは、いかに分解して子どもたちに言葉にして伝えてあげるかを意識するようになったことです。体操用語ってあるんですよね。「あご引かない」とか、そういうのはそのまま子どもたちに言っても伝わらない。「力入ってない」と言いたいときには「お腹が前に出ちゃってるよ」と伝えてみるとか。年齢に合わせて言葉を変えるとか。「おひざ」「おしり」とか。そういう細かいところも気をつけてます。小学生もいれば、2、3歳のお子さんもいますので、その子たちが理解できる言葉で伝えていく。そういうのはまだまだ勉強中ですね。もっとこうすれば上手くなるのかな、どう言ったら上手にできるかなとか、常に考えながらやっています。

小さな夢を積み重ねていく。

まず教室を増やし、埼玉から体操を広めていきたいと考えています。体操の楽しさを伝え、多くの人々が体操を始めることで競技人口も増えると思っています。私自身も幼少期から体操を始めたので、子どもたちに体操を教えることが特に重要だと考えています。埼玉の体操競技人口が減っていると聞いたので、私たちはその傾向を変えるために、地元で貢献したいと思っています。将来的には、大会に出場する選手たちの育成にも貢献していきたいです。

当面の目標は、埼玉に3店舗の教室を出店することです。そして余裕ができたら、選手向けのコースも開講する。また、引退後の選手たちが就職できるよう、私たちの教室がセカンドキャリアとして役立つようにしたいです。いま、少しずつ夢を実現していると感じています。これからも「逆算してトライする」を心に留め、夢を実現していくことを続けていきたいと思います。

プロフィール

鈴木 康平(すずき・こうへい)
株式会社WINVERTKS代表取締役。1993年、埼玉県生まれ。幼少期より体操競技に打ち込む。伊奈学園総合高校、日本体育大学卒。2021年7月、株式会社WINVERTKSを設立、2021年11月「スズキ体操スクール」を埼玉県桶川市で開設。

<成績>
・2011年:全国高等学校総合体育大会(インターハイ)でつり輪3位、全日本ジュニア体操競技選手権大会で跳馬2位。
・2012年:全日本体操競技種目別選手権大会でつり輪4位、跳馬8位。全日本体操競技団体選手権大会で団体4位。
・2013年:全日本体操競技種目別選手権大会でつり輪8位。
・2015年:全日本体操競技種目別選手権大会でつり輪6位、全日本体操競技団体選手権大会で優勝。

(文・雨庭・Totty/撮影・取材・西泰宏)

ライター
ドーミーラボ編集部

「夢中になれる学生生活」を探求するウエブマガジンです。進学や進路のあり方、充実した学生生活をおくるために実践できる知恵やヒントを発信していきます。