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【二宮清純×学生会館ドーミー】相部屋からひとり部屋へ。リラックスとマネジメントを両立できる環境に迫る―日本体育大学硬式野球部【学生寮 ドーミー取材記 #3】

【二宮清純×学生会館ドーミー】相部屋からひとり部屋へ。リラックスとマネジメントを両立できる環境に迫る―日本体育大学硬式野球部【学生寮 ドーミー取材記 #3】
スポーツジャーナリスト・評論家として長年活躍されている二宮清純さんに、学生会館ドーミーを取材頂きました。本特集では、二宮さんによるインタビュー、エッセイなどを通じて学生寮の魅力をお届けします。今回は1軍選手の皆さんがドーミーを利用している、日本体育大学硬式野球部の古城(こじょう)隆利監督、門馬功選手(3年)、2024年のプロ野球ドラフト会議でオリックスに2位指名された、寺西成騎投手(4年)にお話をうかがいました。

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二宮清純さん、古城監督、門馬選手(3年)、寺西選手(4年)

二宮清純:今回は、1軍選手たちが暮らすドーミー長津田におうかがいしました。

古城隆利&寺西成騎&門馬功: よろしくお願いいたします。

二宮:直近のシーズン(24年秋)は首都大学野球リーグ優勝、関東大学選手権を勝ち上がり、明治神宮大会にも出場しました。春5位からチームを立て直しました。

古城:22年秋から3季連続優勝を果たし、24年春は上位にいるのが当たり前のような雰囲気がありました。私は“ちゃんとやってくれているだろう”と考えていた。しかし隅々まで見ると、細かい部分が疎かになっている。学生たちに聞くと、「やっているつもり」だという。そこが少しぼやけてきていたように感じたので、「きっちりやろう」とチームを締め直したことが秋の優勝につながったと思っています。

二宮:荒療治のひとつとして、秋から3年生の黒川怜遠選手をキャプテンにしました。学生スポーツでは最上級生がキャプテンを務めるのが通例です。

古城:ウチのチームでも異例のことでした。チームをギュッと引き締めるためにも、キャプテンを代える必要があると考えました。3人いる副キャプテンのうち1人は、3年生を置いていた。4年生の副キャプテンの中にはその代のキャプテン決めの時にキャプテンを辞退した者もおり、また、ポジション的にも投手では厳しいかなと最終的に黒川に決めました。

二宮:黒川選手は寺西投手と同じ石川の星稜高校出身ですよね。

寺西:黒川は春5位になった時、すごく落ち込んでいた。僕もケガでシーズン当初投げられませんでしたから、大変な思いをさせて申し訳ない気持ちでした。

二宮:寺西投手が立候補することは?

寺西:ちょっと僕では、キャプテンは務まらないですね。

古城:アハハハ。できないことはないだろう。

二宮:3年生がキャプテンになったことで、より4年生が体制をサポートする必要が出てきたと思われます。

寺西:そうですね。僕たちが足を引っ張るわけにはいけませんから。

二宮:25年のシーズンも黒川選手がキャプテンに?

古城:はい。エスカレーター式に決めるのではなく、新4年生の代できちんと話し合った上で今年もキャプテンを任せることにしました。そして、ここにいる門馬が副キャプテンになります。

二宮:日体大の野球部員は300人近くの大所帯です。中小企業の社員数ほどの人数を抱えているわけですから、マネジメントをするのは大変だと思います。私が監督だったら名前を間違えてもおかしくない。

古城:間違いそうな時は名前で呼びませんから。

二宮:アハハ。リスクマネジメントですね。

古城:昔は、新入部員が名前の書いたシャツを着て練習に参加していたので、半年もすればだいたい名前を覚えられました。でも今は日体大野球部を憧れの対象にしたいと考え、チームのトレーニングシャツを着用して練習しています。そのため名前を覚えるのも一苦労です。

二宮:門馬選手は東海大学相模高校出身で、お父さんも同大出身ですから、東海大に進むという選択肢はなかったのでしょうか?

門馬:古城監督がずっと僕のことを気にかけてくれていて、「ウチに来てくれ」と熱い言葉をいただいたのが、日体大を選んだ大きな理由です。

古城:彼は東海大相模から初めてスポーツ推薦で入ってきた選手です。私は門馬が背番号2桁だった時から動向を追いかけていました。お父さんの敬治監督(当時・東海大学相模)とは同学年で仲が良かったという縁もありました。

体づくり支えるアスリート食

二宮:名字が大きく書かれた白いシャツよりもデザイン性に優れたシャツの方が選手たちの気持ちにも張りが出るでしょうね。

古城:そうですね。色は3色あり1、2、3軍で使い分けているんです。それは成果を可視化したかったからです。

ドーミー長津田は寮長・寮母が常駐。寮長<左>は元飲食店勤務で、寮の食事も担当。

二宮:ひとり部屋が確保されていると聞きました。今の子どもたちは自分の時間を大切にしている。その意味では精神的にリラックスできるメリットがありますね。

古城:そうですね。4人部屋で部員同士が共同生活をし、和気あいあいと過ごすのもいいのですが、選手にとってより良い環境で日々過ごすことの方が大事だと思っています。

二宮:ひとり部屋ということで、選手が羽を伸ばし過ぎて気が緩んでしまう不安はありませんか?

古城:そこは心配していません。しっかり寮長さんがいて、見ていただいていますから。部屋を綺麗にするもしないも全部自己責任ですから、自立を促す点でもメリットがあると考えています。それに我々としても、いい選手を採りたい。そういう選手を迎え入れる環境として、ひとり部屋があるというのは他の大学と比べてもプラスになっていると思います。

ドーミー長津田の居室。すべてひとり部屋で、家具が備え付け。1部屋ごとのWi⁻Fi環境も整備されている

二宮:選手としてもひとり部屋というのはうれしいでしょう。

寺西:そうですね。僕が1、2年生の時は大学の近くにある寮でしたが、4人部屋なんです。同部屋の先輩は優しい方でしたが、上級生に気を遣う部分もありますから、完全に自分の時間というのは少なかったと思います。

二宮:門馬選手は?

門馬:僕は1年生からこの寮にいますので、比較はできません。寮では自分の時間を確保できることで、必要以上に気を遣わない。そこはめっちゃ楽っていうのはありますね。

二宮:選手を預ける身としてもメリットは大きいでしょうね。

古城:はい。また、ここでは食事面でも、カロリー計算されたアスリート食が提供されています。体づくりという点でも非常に助かっています。

ドーミー長津田で提供されているアスリート食。通常の学生会館ドーミーよりも品数を強化し、アスリート食担当の管理栄養士が企画・作成したメニューを提供している。

二宮:好きなメニューは?

寺西:どんぶり系が好きです。カレーも好きです。

門馬:僕もカレーが好きです。本当に美味しい。アスリート食を提供していただき、食事面での環境はすごく整えてもらっていると思います。

二宮:ところで寺西選手は寮を出て、プロ野球の世界(オリックス)に入ります。ドラフト会議で2位指名された時の感想は?

寺西:正直びっくりしました。12球団から調査票は届いていましたが、もっと後ろの順位で指名されるものだと思っていましたから。

二宮:ずばり1年目の目標は?

寺西:まずは開幕1軍入りすることです。

二宮:参考にしているプロのピッチャーは?

寺西:同じ右ピッチャーで高校の先輩である奥川恭伸投手(東京ヤクルト)と、埼玉西武の今井達也投手です。2人は投げるボールにキレがあり、さらに立ち居振る舞いも格好いい。

二宮:それでは古城監督と門馬選手は、日体大として2025年のシーズン、寺西投手はプロ野球、皆さん、それぞれの道でこれからのご活躍を期待しております!

古城&寺西&門馬:ありがとうございます! 頑張ります!

(鼎談構成・鼎談&寮長写真/杉浦泰介)
本記事は、株式会社スポーツコミュニケーションズと株式会社共立メンテナンスとのタイアップ企画で、同社の許可を得て転載するものです。インタビューは2024年12月に実施しました。


古城隆利(こじょう・たかとし)
1969年、大分県日田市出身。日田高校卒業後、日本体育大学に進学して硬式野球部に所属。日体大には一般入試で入学し、ベンチ入りする。3年秋には明治神宮大会に出場。大学卒業後は、社会人野球のいすゞ自動車でプレーした。その後いすゞ自動車と日本体育大学でコーチを務め、2009年からは日本体育大学の監督に就任した。2017年の明治神宮野球大会ではチームを37年ぶり22度目の優勝に導いた。侍ジャパン大学日本代表のコーチも歴任。同大学のスポーツマネジメント学部の准教授も務めている。


寺西成騎(てらにし・なるき)
2002年、石川県能美市出身。投手。小学3年時に野球を始める。根上中では軟式野球部に所属し、侍ジャパンU-15日本代表にも選ばれた。星陵高校では1年春からベンチ入りし、3度(1年夏、2年春・夏)甲子園に出場。2年夏の甲子園では準優勝。日本体育大学では、高校時代の手術の影響で3年春からリーグ戦に出場。5勝を挙げ、最高殊勲選手、最優秀投手を受賞した。24年夏、プラハ・ハーレム国際大会出場。その年のプロ野球ドラフト会議でオリックスから2位指名を受けた。身長185cm。右投げ右打ち。


門馬功(もんま・こう)
2003年、神奈川県出身。主に一塁手および指名打者でプレー。中学時代は相模原ベースボールクラブに所属、高校は父・敬治が監督(当時)を務める東海大相模に進学した。甲子園出場は2度(1年夏、3年春)。3年春は副主将として、父とセンバツ史上初となる親子鷹優勝を成し遂げた。22年に進学した日本体育大学では1年時から主力としてプレー。2年時には神宮大会ベスト4に貢献した。身長173cm。右投げ右打ち。


二宮清純(にのみや・せいじゅん)
1960年、愛媛県出身。明治大学大学院博士前期課程修了。同後期課程単位取得。株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。経済産業省「地域×スポーツクラブ産業研究会」委員。認定NPO法人健康都市活動支援機構理事。『スポーツ名勝負物語』(講談社現代新書)『勝者の思考法』(PHP新書)『プロ野球“衝撃の昭和史”』(文春新書)『変われない組織は亡びる』(河野太郎議員との共著・祥伝社新書)『歩を「と金」に変える人材活用術』(羽生善治氏との共著・廣済堂出版)など著書多数。最新刊は『森保一の決める技法』(幻冬舎新書)。

ドーミー長津田

長津田駅近くにある、約80室規模のドーミー。現在、日本体育大学硬式野球部専用の選手寮として運営。学生会館ドーミーの常駐管理の見守りと充実した設備を活かしながら、アスリート食の提供、練習や大会スケジュール等に合わせた運営を行い、選手たちの生活を支えている。2022年ドラフト1位の矢澤宏太(北海道日本ハム)も元寮生。