1. Home
  2. コラム
高校生におすすめ!

夢の軌跡は、これまでも、これからも続いていく。演劇人生が導いた、新しい活躍の舞台―吉田 葵さん(俳優・アフタースクールスタッフ)【連載・夢中人 Vol.4】

夢の軌跡は、これまでも、これからも続いていく。演劇人生が導いた、新しい活躍の舞台―吉田 葵さん(俳優・アフタースクールスタッフ)【連載・夢中人 Vol.4】
今回の「夢中人」連載は、舞台俳優として長年活動を続けてきた吉田葵(よしだ・あおい)さん。コロナ禍をきっかけに、表舞台に立つ俳優から、演劇の楽しさを伝えるサポート役へとシフトチェンジし、人生の新たなステージで活躍を始めています。これまで経験したさまざまなターニングポイントや演劇への熱い思い、今後の夢について語ってもらいました。

⏱この記事は約6分で読めます

子どもの頃に出会ったミュージカルが人生を変えた

小学生の頃から歌やダンスが大好きでした。当時大人気のSPEED(スピード)*さんに憧れていて「将来はSPEEDになるんだ!」って本気で思っていたんです。友達とユニットを組んだり、カラオケ大会に出たりしながら、とにかくどうやったらSPEEDになれるかばかり考えていました。中学2年生のときに、地元気仙沼の子どもミュージカル劇団に入ったんです。そこで初めてミュージカルというものを知って、「なんだこの最高に楽しい世界は!」と夢中になり、気づいたら夢はSPEEDから舞台俳優まっしぐらになっていました。

*SPEED(スピード)は、1996年から2000年まで活動していた沖縄出身メンバーで構成された女性アイドルグループ。デビューシングル「Body & Soul」から続く一連のヒット曲で、1990年代後半のJ-POPシーンを牽引した。そのポップでキャッチーなメロディと、メンバーそれぞれの個性的なボーカルが特徴的です。

専門学校に通いながらレッスンを受けた研究生時代

高校を卒業した後は、上京して児童英語教師の専門学校に通いながら、俳優の道を目指しました。朝から夕方までは学校、夜は劇団の研究生としてレッスンを受ける生活を2年間続けました。専門学校と劇団の両立はとても大変で、学校を辞めたいと考えたこともありましたが、今思えば、続けてよかったと思っています。専門学校で学んだことは今の仕事にも役立っていますし、劇団と学校という2つのコミュニティを持てたのもよかったと思います。専門学校を卒業した後は、バイトを複数掛け持ちしながら劇団員をやっていました。児童英語教師との掛け持ちも考えましたが諦めました。舞台に出るとなると、本番と稽古を合わせて2~3カ月はほかの仕事ができなくなるんです。もともと俳優1本でやりたいという気持ちも強かったですし、学生時代の仲間たちが就活を頑張っているのを見て、私も本気で俳優の道1本で行くべきだと思い、決断しました。

演劇は人生を豊かにする力がある

劇団員を3年続けた後は、愛媛県の「坊っちゃん劇場」に拠点を移し、ロングラン公演のキャストとして10年ほど活動しました。知り合いの音楽監督から、日本のオリジナルミュージカルを毎日上演している面白い劇場があると教えてもらってオーディションを受けたのがきっかけです。畑の真ん中に劇場があるような場所で、初めて行ったときはちょっと不安になりましたが、公演を見たらとてもクオリティが高くて、「絶対ここに出たい!」と思いました。オーディションに合格して1年間のロングラン公演が決まったときは、「やっと俳優業だけに集中できる」と思い、泣いてしまいましたね。最初はアンサンブルキャストでの出演でしたが、開幕して3カ月後に急遽メインキャストに抜擢されたんです。

©︎2019 Joy art CO.LTD.
写真右:ヒロインを演じる吉田さん(©︎2019 Joy art CO.LTD.)

シングルキャストで初めてのロングラン公演、毎日物凄いプレッシャーとの闘いでしたが、ファンの皆さんの応援、先輩方のサポートのおかげで最後まで役を務められました。毎回終演後には衣裳を着たままロビーでお客様を見送るんですが、坊っちゃん劇場では「初めて舞台を観た」というお客様が多く、涙を流しながら想いを伝えてくださったり、ひきこもりがちだったという方が劇場に遊びに来るようになったり、観劇された方が友達や家族を連れて来てくださったり・・・。演劇が人を繋いで、人生を豊かにする力を持っているんだということを実感した10年でした。

宮城県にも地元の演劇を作りたかった

東日本大震災の後、しばらく宮城県に戻って活動していました。震災が起きたときはロングラン公演中ですぐに帰る事ができず、地元のために何もできなかったという思いがずっとあったんですね。宮城県で仕事をしながら、ゆくゆくは愛媛県のようにその土地の文化や宝を掘り起こして宮城の演劇を作り、故郷ともう一度向き合いたいと考えていました。ただ、1人の力では難しいので、知名度を上げたり人脈を広げるために、テレビ番組のレポーターをやっていたこともあります。でも、なかなか思うようにいかず、いったん関東に拠点を移してまた頑張るぞ、というときにコロナ禍になったんです。

コロナ禍で人に寄り添う演劇へシフトチェンジ

放課後NPOアフタースクール(以下、アフタースクール)で子どもたちと関わるようになったのは、コロナ禍がきっかけです。人生をかけてきた俳優の仕事ができなくなったのがショックでしばらくは何もやる気になれなかったんですが、やっぱり演劇の持つ力を信じたい、失くしたくないという強い想いが沸き上がってきました。

コロナ禍になってからは、表に立つより人の生活に寄り添う形で演劇に関わりたいと思うようになっていて、子ども達が授業や習い事ではなく、自由な遊びの中で歌ったり踊ったりしながら自分を表現して楽しめる場所を作りたいと考えていました。そんなときアフタースクールの存在を知り、思い切ってシフトチェンジしました。

アフタースクールは、放課後に小学校施設を活用し、地域の人と一緒に子どもたちの居場所をつくる活動をしているNPO法人です。放課後はこどもが自由でありのまま居られる場所で、好きや得意を伸ばせる可能性に満ちた場所です。放課後と演劇の相性がとても良いと思いました。私は、現場スタッフと、企業と共同企画した教育プログラムを開催する「プログラムコーチ」を兼務しながら、自分で立ち上げた表現プログラムを定期的に実施しています。子どもたちが心も身体も丸ごと使って歌ったり踊ったり楽しんでくれている姿や、日々成長していく様子を見るとやりがいを感じるし、頑張って続けてきて良かったと思いますね。

いつかはオリジナルのミュージカルを作りたい

いつかアフタースクールの子どもたちとオリジナルミュージカルを作りたいという夢があります。個人的には、もっと演劇が身近なツールとなるように、子どもも大人も楽しめる表現プログラムを作って発信していくような活動もしていきたいですね。演劇の力で人生を少しでも明るく豊かにできる仕組みやシステムを作りたいというのが今の夢です。何かに夢中になるって元気になりますよね。夢中って最強です。時間を忘れるほど夢中になりたいし、誰かを夢中にさせたいです。

プロフィール

吉田 葵(よしだ・あおい)
宮城県気仙沼市出身。俳優、放課後NPOアフタースクール現場スタッフ&プログラムコーチ、愛媛県東温市観光大使。舞台俳優として古典芸能から和製ミュージカルまで、幅広いジャンルの舞台に出演。その他、テレビ、ナレーション、MC、ライブなど活躍の場を広げる。現在、放課後NPOアフタースクールの現場スタッフとプログラムコーチとして、演劇やミュージカルで培ったスキルを活かし、地域の人と一緒に子どもたちの居場所づくりの活動に従事する。

撮影場所:ドーミー大塚
撮影・取材:西泰宏 / Totty

ライター
ドーミーラボ編集部

「夢中になれる学生生活」を探求するウエブマガジンです。進学や進路のあり方、充実した学生生活をおくるために実践できる知恵やヒントを発信していきます。